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にゅうっと手が伸びて、菓子盆を探る。
佐助は餅菓子が好きだ。食いものは基本的に大きくて重いと喜ぶ。
「食ってきたのではないのか」
取りやすいように、佐助の方へ押してやる。
ちょっとだけね、と佐助は白い息を吐いた。
「ふうん?」
幸村は月の内、だいたい用事のない間は、真田の郷の屋敷にいる。
城は戦時の砦であればよく、平時は役場であり、花見の場所であればよいと思っていたので、西では武身は普段から城に住むものだと聞いて驚いた。なんと面倒なことだ。平地にある上田城ならともかく、山上にある砥石城や松尾城など、住むには不便が多すぎる。だいたい砥石城は子供の頃に一番上の郭から落ちた。その時の傷はまだどこかに禿になって残っているはずだ。
「城に来たと鳥が飛んで来たぞ。だからてっきり向こうで寝るのかと思ったが」
「あー、お城住みのやつらは顔見ただけ……。すぐ帰って来たし。っていうかわざわざ鳥飛ばしてくれたんだ? あいつら最近あんたに会ってないっぽいし、そのせいじゃない?」
「いや? そうでもないのだがな?」
「あいつらご主人が来てくんなくてさみしいんじゃん。バッカじゃね」
「よく言うな」
「いいじゃん。あんたがご主人様なんだからさあ」
「そう言ってもらえるのはありがたいが、おれもまだまだ若輩者だ」
「そだね」
あっさり肯定されて、幸村は眉を下げた。
佐助たちは、幸村が十の頃に、父が甲賀から連れてきた。
それから幾度もの戦や討伐に連れ出して、今も最初の人数のまま十人、誰も減らずに幸村の下にいる。そのうち半分は守りがてら城に住んでいて、もう半分は郷の屋敷に、佐助だけが幸村について甲斐だの上田だの、あちこちをうろうろしていた。
「おまえこそ頻繁に連絡をしているのだろう。ついでによろしく言うくらいのことはしておけ」
「はあー? おれさまたちはお仕事でやりとりしてんの。そんくらい自分で言いなって」
「あいつら、顔を見るとちくちく嫌みを言うではないか……」
「あんたが大した用事もないのに、やれ甲斐へ行け、お館様に何を届けろだのばっか言うからでしょ。あいつらもひまじゃないんだよ。お城空になっちゃうじゃん」
「その程度で城が落ちるか」
「落ちたらどうすんのよ」
餅を咥えたまま、鉄瓶を火に掛ける。
「たとえそれで落ちたとて、おまえたちのせいではない」
「そりゃそうですけど。もうちょいいい感じのお役目がほしいよね、平時だとは言えね」
そんなに煮立たせてどうするのかと思うが、佐助はとにかく熱ければ美味いと思っているらしく、鍋でもなんでも湯気で真っ白になるほど煮立たせたがる。
「何にも変わりはなかったよ。上田は平和だね」
ぐっと喉を鳴らして口の中のものを呑む。幸村にはどうも佐助がものを丸呑みしているような気がするのだが、腹を壊さないところを見るに、支障はないようだ。どういう腹の仕組みをしているのだろうとたまに思う。
「上田は平和か」
寒さのせいか、湯呑みの中は冷え切っていた。
「そうね、上田はね」
佐助はまだ湯気の立つ器に口をつける。
「……甲斐はどうだ?」
「そうね」
ふうっと呼吸に湯気が揺れた。
「荒れそうだね」
冷めた湯の面に、険しい顔をした自分が映った。
「今川殿も厄介なことを……」
ちら、と佐助の目が、幸村を見て光る。
「ちゃんと皆殺しにしとけばよかったって思った?」
ゆっくりと眉を顰めて、幸村は口許を押さえた。
「……それが出来るような御仁なら、今川殿もご健在であっただろうがな」
「だよねえ。さっさといなくなっちゃってさあ、いい気なもんだよね」
「そう言うな」
苦い気持ちになった。
どこが消えてどこが残るのかなど、戦国の世、誰にもわかりはしない。
けれども、井伊など、考えたこともなかった。
遠州は疾うの昔に、三河の徳川が獲ったものと思っていた。どだい、それより前は今川のもので、井伊など、その今川に攻められて互いに毒と讒言で離散したとしか聞いていない。井伊の本家の跡継ぎがどうのと言われても、今さら、だ。
火を見つめるまぶたが乾く。
「次郎法師などと総領名を名乗るものだから、てっきり男だとばかり思っていたが……」
「直虎ちゃんなんだよねえ」
面倒だというのが、疲れになって表情に凝る。
ため息が出た。
「……どんな女人であった」
「さあ?」
佐助は鉄瓶に手を伸ばす。
「なんか乙女の生き方どうこうって言ってるらしいけど、まあ、うちには女はいないんだから、関係ないんじゃない。吾妻の方でくのいち出してる人たちはいるけど、武田も真田も身内で女武将はいないでしょ?」
「おらぬな」
継ぎ足しの湯は、柱のような湯気を噴いている。
「そもそもろくすっぽ女が生まれん」
「あ、そうなの? っていうかまず女どうこう言うなら、織田か前田に行きなって話でしょ。武田真田相手に乙女どうこうってお門違いもいいとこでしょ」
上杉でもいいけど、と小さく唸る。
ああ、と幸村は金色のうさぎのような忍を思い出した。
「かすが殿はお元気か」
「知らね」
佐助は唇を尖らせた。
「おれさまあいつなんか関係ないもん。っていうか軍神が生きてんだから生きてんじゃないの」
「そういうものか」
知らね、と佐助は鼻を鳴らした。
「だいたい婚儀だか婚約だかがどうなったのか知らないけどさ、そんなのおれら関係ないじゃん」
「全くだ。その逃げた男の首が欲しいと言うなら手を貸さぬでもないが。婚儀に遅れた破談になったの我々が恨みを受ける筋合いはあるまい」
「だよねえ。あほらし」
「そもその戦、お館様のご采配で命ばかりは助かったとなぜ思わぬのか」
「さー? あれなんじゃないの? 恋しちゃったら一直線ってやつなんじゃない」
「なるほど」
かすが殿も、と言いかけて、口を噤んだ。
そう言えばこれも許嫁だなんだなどと胡乱なことを言っていたのだった。
手の中の湯気があたたかい。流行病のようなものだったのだろうか。近頃、もうぷっつり言わなくなった。病だとしても、随分恥ずかしい病に罹ったものだ。
「……旦那、顔に出てるよ」
低い声で我に返った。
「なるほどおれさまがなんだってえ?」
「いや、あれだ、あのあれ、伊予の巫女殿を思い出してだな……」
「へええ、伊予のあの子ねえええ」
佐助は性根のひん曲がった顔で幸村を覗き込んだ。
「旦那、あやまって」
「おまえその顔をやめろ……」
「おれさまがどんな顔しててもおれさまの勝手でしょー」
「薄目をするな薄目を!」
よく考えれば、嫁を取るも婿に行くも何の予定のない男が、冬の炉端に二人して、他人の婚礼の話をしているのもおかしいような気がした。
「あーあ」
佐助は当てつけがましくため息をついて炉端に転がった。
「もうおれさま訳わかんね」